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介護情報・コラム

歳を重ねるからこそ強く美しくなれる~私が大好きなセレクトショップ店長の話~

2023/08/07

歳を重ねるからこそ強く美しくなれる~私が大好きなセレクトショップ店長の話~

執筆者:マダムユキ

私がいつも服やファッション小物を購入しているセレクトショップのオーナーであるアユミさんは、まだ後期ではないけれど70代の高齢者。
「洋服が好きだからこの仕事をしている」という彼女は、おしゃれで、若々しくて、お元気だけれど、すでに体は満身創痍。もういつ引退してもおかしくないけど、「まだまだ頑張らないかん。私は死ぬまで働くで」と言っています。
彼女との交流から、高齢者の生きがいと仕事について考えます。



ベリーショートのグレイヘアがよく似合っている70歳の亜由美さんは、長年「ellie」というファッションのセレクトショップを営んでいる。


百貨店にあるような国内の有名ブランドも扱っているが、知る人ぞ知る通なブランドや、フランスやイタリアから輸入したインポートものが店の主力商品だ。


「オーナーのお名前って、エリさんなんですか?」
と聞いてみたら、
「いんや。私の名前は亜由美」
「じゃあ、なんで店はellieながですか?」
「エリーって名前に憧れたがよ。オシャレっぽくて。私の名前じゃ、ブティックの名前にはならんろう?」


確かに。こう言っては悪いが、「亜由美」だと場末のスナックみたいだ。


私は、亜由美さんの選んだ服が好きだ。彼女がセレクトした服は、どれもシンプルなデザインで着心地が良く、1日中着ていても体が疲れない。しかも、自宅で洗えてアイロンの必要もない、手入れが楽な服ばかりなのだ。

近頃の服は、洗濯表示のタグにドライと書いてあることが多いのだけれど、亜由美さんに確認すると、 「最近は何でもドライやき、この服もドライって書いちゅうけんどね、洗濯機で洗うてかまんがで。 この素材とデザインやったら、水洗いで大丈夫ながよ」と、自信たっぷりといった様子で説明をしてもらえる。

素材の特性を知り、メーカーが特許を持っている加工の技術や縫製についても理解しているからこそ、手入れについて表示に頼らない説明ができるのだ。


メーカーが国内に工場を持っている場合は見学にも出かけ、ブランドによってはデザイナーと直接話もしているため、自分が売っている服の品質とコンセプトをちゃんと把握している。
亜由美さんは、近年ファッションの小売の現場ではすっかり珍しくなってしまった、この道のプロなのである。


だからこそ、彼女の店には長年通い続ける常連客が多く付いているのだろう。そういう私も、亜由美さんの店に通うようになって早12年。すっかり常連の一人になっている。


ブティックの画像
※画像はイメージです。

私が初めて亜由美さんのお店に入ったのは、13年間住んだ神奈川での生活を引き上げて、地元である高知に帰ったばかりの頃だった。 当時の私はまだ30代半ばで、フェミニンな装いを好んでおり、フランス製のジャージーワンピースをよく着ていた。

当時着ていた服のほとんどは、神奈川で行きつけのセレクトショップで購入たもので、ネット販売はしていなかった為、 「これからの暮らしでは、好きなファッションも諦めなければならないな…」 と、さみしく思っていた。


ところが、たまたま通りかかった亜由美さんの店のウィンドウに、当時お気に入りだったブランドのスカートやワンピースが飾られているのを見つけたのだ。決して地方をバカにする訳ではないが、高知でもそのブランドの服が手に入るとは思っていなかったため、嬉しく感じると同時に驚いてしまった。


それをきっかけに、私はインポートの服を目当てに亜由美さんの店に足を運ぶようになる。


個人が経営しているファッションの店では、ターゲットにしている客層がオーナーと同世代である場合が多い。亜由美さんは私の親と言ってもおかしくない年齢だが、感性が若いためか、店の中には私が見ても素敵だと思える服が多く、私はいつしかインポート以外の服も手に取るようになっていった。


亜由美さんの店に通い始めて12年と言っても、私が常連らしくなり、亜由美さんと打ち解けるようになったのは、ここ1、2年のことである。 大きなきっかけは、コロナだっただろうか。


いつも接客をしてくれていたベテランスタッフが家庭の事情で仕事を辞めると、亜由美さんは一人で店を切り盛りするようになった。恐らく、もう新たに常勤のスタッフを雇い入れる余裕がなくなったのだ。


コロナ禍の最中に店を訪ねた際には、商品のラインナップもずいぶん変わっていた。
インポートの服が消えて、国内ブランドの服も、まるで部屋着のようなものばかり。


「だってよ。今は外へ着ていくような服を置いちょっても、なんちゃあ売れんもん。輸入が止まって、インポートの服は入って来んようになったがよ。 人が外へ出んなったき、服はサッパリ売れんようになって、でも支払いはせないかんろう?仕方がないき、仕入れちょった服はみんなぁ叩き売ったわね。
もうホンマに、せっかく仕入れた服を仕入れ値以下で売らないかんかって、何しゆうか分からんかったで。長いこと商売しゆうけんど、赤字を出したがは初めて」


ブティックの画像
※画像はイメージです。

その話を聞いてから、私は意識して亜由美さんの店で買い物をするようになった。潰れて欲しくなかったからだ。


そうは言っても、すでに県外へと引っ越していた為、頻繁には来店できない。それでも、高知に帰省するたびに顔を見せて、 「私はもう、服はここでしか買い物しよらんきね。やき、亜由美さん頑張ってよ」
と励ました。すると、亜由美さんの方でも
「分かった。頑張るき、ゆきさんも頑張って働いて、うちの服を買うてよ!」
と、私に発破をかけてくる。


「そうやねー。頑張って働かんといかんね。でも今は、ぎっちりは買えんがよ。上の子が大学へ行くようになって、びっくりするばぁお金がかかりゆうき、自分のことは後回しにせないかん。
これから下の子も大学へ行かさないかんろう。やき、私が働いたお金を自分の好きに使えるようになるまで、もうあと数年ばあ待ちよってね。亜由美さん、それまで引退せんとってよ」
「引退なんかするもんかね。私は死ぬまで働くきね」


それを聞いて安心、は出来なかった。
亜由美さんは、もう体のあちこちが悪いのだ。時々、入院の為に店を閉めていることもある。


「まあ、若い頃から自分で商売してきよったきね。この仕事をしていくために、そりゃあ無理もしてきたで。そのせいで、体はこの通り」 そう言いながら、亜由美さんは服をめくって、腰に付けた大きなコルセットを叩いてみせた。腰椎変性すべり症を患っているそうで、つい先日も大きな手術を受けたばかりなのだ。


「無理はせられませんよ」
とは言ってみるが、きっと無理を押して働くのだろう。
仮に仕事を家族や他人に任せて、亜由美さん本人が店頭に出なくなれば、店はたちまちのうちに寂れてしまうと分かっているのだから。


私も、他の誰でもない亜由美さんから買うのが好きだから、こうして通っているのだ。きっと、他の常連たちも同じだろう。亜由美さんと話をするのは楽しかった。


例えば、店頭の服を触りながら、
「実はねぇ、亜由美さん。うちの娘は進路がちっとも決まらんで、困っちゅう。言うことが二転三転して、あの子は何をやりたいがか分からん」 なんて子育ての悩み漏らした時には、こんな風に笑い飛ばしてくれた。

「はははは。心配しなやー。心配せぇでも、例えやりたいことがはっきり決まっちょったって、16歳や17歳の頃に思い描いちょった未来は来んきね!世の中は思うてもみんかったように変わるもんやし、人生も、自分では思うてもみんかったようになるもんながで」


なるほど、確かにそうだ。亜由美さんのように独立独歩で仕事をし、酸いも甘いも噛みわけてきた人生の大先輩から言われると、言葉がスッと胸に入ってくる。


「じゃあ、亜由美さんの若い頃はどうやった?いつからこの仕事をしようと思いよったが?」


「私は、若い頃から服が好きやったきねぇ。ずーっと服を売る仕事をしてきて、自分の店を持って、46年になるで。 40年以上も続けてこれたがは、けっこうすごいことながやき。いつの間にか、みんな居らんなっちゅうもん。
ゆきさんは、◯◯◯って会社が高知にあったがは知っちゅう?ほら、バブルの頃に流行った△△△ってブランドがあるろう?あれを高知へ持ってきた会社よ」


「あー!知っちゅう、知っちゅう。私が中高生の頃、お店がいくつもあったねぇ!」


「そうやろ?あの頃はすごかったがやき。あんなに値段の高いブランドの服を、よう高知みたいなところで流行らせたもんよ。けんど、当時はものっすごい売れよったきねぇ。
あの社長はやり手やった。マスコミに取り上げられたり、県外から視察が来たり、有名やったでぇ。
けんどね、勢いに乗って急に店舗を増やして、社長が現場を見んようになって、結局いかんなったわね。最後には破産してしもうた」


「言われてみれば、店がないなっちゅうと思うた。潰れちょったがやね」


「そうで。服を売って商売するがは大変ながよ。メーカーさんやデザイナーさんとやりとりして、ちゃんと商品のことを分かって、仕入れと在庫とお金の管理をして、魅力的なディスプレイをして、こうしてお客さんともお話しして、やっと買うてもらえる。
楽やないで。ちーっとも割に合わん!しんどいき、こんな仕事は好きやないとようせんと思う。
けんど、気がついたら46年もやってこれちゅう。色んなお店ができては消えていく中で、私がまだこうしておるがは、店を他人任せにはしてこんかったきやね。

私ね、覚悟を決めちゅう。ここで死ぬまで働くが。ちょっと前までは、孫が大学を卒業するまでと思うちょったけんど、もう死ぬまでやる!そう決めたら、かえって気が楽になった。

そして私の代で、この店は終わりにする。誰かに継がして、やっていける店やないきよ。
だから、引退らあてするもんかね。まだまだ私が頑張らんといかん。やき、ずっと来てよ」


「うん。ずっと来るきね」


そう約束しながら、「いつまでもお元気でいてほしい」と願った。けれど、「いつまでお元気でおられるかは分からない」と思った。


それがいつのことになるかは分からないが、店が閉じるその日まで、私は亜由美さんから服を買い続けたい。


シニア 笑顔の画像
※画像はイメージです。

【執筆者】
マダムユキ
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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