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介護情報・コラム

家事援助の在宅ヘルパーさんが、頑固な男性の楽しみを復活させた話。

2024/04/16

家事援助の在宅ヘルパーさんが、頑固な男性の楽しみを復活させた話。

執筆者:清水 沙矢香


介護福祉施設から派遣されるヘルパーさんが援助する対象はさまざまで、高齢者の入浴や食事の介護にとどまらず、身体・精神障害を持つ人への家事支援といったお仕事もあることでしょう。

筆者には訪問介護で働く知人がいますが、「色々な人との出会い」を楽しむというスタンスの彼女だからこそ、さまざまな現場をこなしていけているのだなあと感心しています。

彼女が聞かせてくれた、ある男性利用者のお話が筆者には印象強く残っています。



「昔ながらのアパート」の一室で

筆者の知人である女性ヘルパーさんが定期的に訪れているのは、東京郊外のいわゆる「昔ながらのアパート」の一室です。1DKの間取りで、50歳代の男性が一人で暮らしています。

男性は重度の糖尿病を患っているために働くことができず、生活保護に頼りながら生活をしています。
その男性のもとに、家事援助のために彼女は定期訪問しています。

「部屋の中は片付けが必要だけど、玄関先とか窓際に観葉植物を置いてるところがちょっとおしゃれなんだよね」

彼女はその男性の印象をそう語っていました。

彼女はとにかく、利用者さんの部屋をきれいにすることを大切にしている人です。
部屋が綺麗になると気分に変化が起きる、ということを信じているからです。
よってその男性の自宅でも、訪問するたびに不要なものを少しずつ男性の了解を取って捨てていき、狭い部屋を整理する手伝いを続けていました。

そして、ある日のことです。

片付けが進んだ部屋の隅に、何枚ものキャンバスが置かれているのを彼女は見つけました。
確認すると、やわらかなパステルカラーで人物を描いた水彩画の数々でした。

そして、部屋の中にある箱を見て、「この箱には何が入っているの?」と彼女がたずねたところ、男性は「雑多なものだよ」と曖昧な返事をしていました。
しかし「開けていい?」そう聞いて彼女が箱を開けると、中には絵具が入ってたのです。

男性は絵を描いていた人だったのです。

「素敵じゃない!これ、売れるよ!」と彼女は純粋な感動と意見を口にしました。
しかし、男性は曖昧な返事をしていたといいます。
「生活費の足しになるんだから、売ってみればいいじゃない!」その日、彼女はそう勧めて男性宅を後にしました。

同時に、彼女は全てを察したのです。
自分で全部の片付けをするのは難しいものの、観葉植物をオシャレに飾っているのは、彼のアーティストとしての感性だったというわけです。


しかし、その後男性は…

彼女の話から伝わる男性の人物像は、筆者からすると「頑固だけれど恥ずかしがり屋で、内向的な部分もある人」という印象でした。
しかし植物を部屋に取り入れて世話をしたり、という細やかな一面もあるわけです。
それが繊細な絵のタッチとして現れているのかもしれません。


「話し下手」の理由

さて、筆者はライターの傍らで音楽活動をしています。
そこでわかるのは、音楽を含め芸術分野にはこのような気質の人がよくいるということです。
音楽や絵画、その他芸術分野で自己表現はできるものの、日常会話ではなかなか自分をうまく出せない人は多くいるものです。

感性が鋭すぎる人がしばしばいるのです。
そして頭の中に様々な「感覚」が同時に湧き上がり、言葉という形に整理するよりも、音や作品にダイレクトにぶつけたほうが話が早い、という感覚の持ち主であることが多い印象があります。
よって、言葉で話すことが苦手なのです。

そして、もうひとつ特徴があります。
その成果物をいくら「すごい」「売れる」と言われても、本人はそのことに気づかずにいます。
もっと言えば、狙ってもいません。なぜなら、本人は自分の感じたことをそこに表出しただけだからです。そうしないと気が済まないからです。もちろん、認められればそれは嬉しいことです。

多くの人に言えることですが、考えたことや感じたことというのは、誰かとシェアしたいものです。
アーティストと呼ばれる人たちもそうなのです。
ただ、彼ら、彼女らはその手段として「言葉」ではなく作品を選んでいるだけなのです。
ですから、言葉の上ではおちゃらけたり、中には自分の本質を隠したりする人もいます。うまく言えないだけ、という人もいます。


「動けなくなる前に」

さて、話を男性の絵画に戻しましょう。
そこからしばらくして。

男性は、彼女の言葉を受けて、近くの駅前にその絵を売りに行ったのだといいます。

勇気のいったことでしょう。男性は絵の世界からしばし遠ざかっていたからです。
しかし、「自分が本当に動けなくなってしまう前に」という思いを抱いたのだそうです。地元の喫茶店の店主さんが1枚買ってくれたのだそうです。

これは筆者の想像ですが、彼はひとりで、言葉では自分をうまく表現できないことに苦しんでいたのかもしれません。
そして唯一の表現方法である「絵画」から遠ざかっているうちに、「自分を出す」場所を失い、精神的に引きこもっていたのかもしれません。
しかし自分の絵に共感して売れた人が現れたことで、諦めかけていた何かをすこし取り戻した瞬間だったことでしょう。

もちろん、体に不自由を抱えている男性ですので、毎日それをやるぞ!とはいかないでしょう。
しかし、絵を人に買ってもらった瞬間の喜びは、長いブランクの寂しさを考えても大きなものだったのではないかな、と筆者は感じます。
いや、そうであってほしいものです。


シニア 絵を描く画像
※画像はイメージです。

訪問介護・看護での「距離感」

また、彼女の「こだわり」を聞いていて、他にも感心させられたものがありました。

まず彼女は、利用者さんが女性の場合は年齢に関係なく、下の名前で相手を呼ぶことにしているのだそうです。
特に高齢の女性の場合、それだけで表情が変わることが多いのだそうです。

接し方のポイントひとつで、相手との接妙な距離感を作り上げているのだそうです。
筆者は常々思うのですが、介護や看護、特に訪問という形式の場合、最初は赤の他人から一対一の空間が定期的に続くわけです。

冷静に考えればこれは、そう簡単なことではないと思います。

そして中には話好きな人もいれば、この男性のように話下手でその本心を察するのが難しい利用者さんもいることでしょう。
中には気難しい利用者さんもいらっしゃると聞きます。

しかしその心をすこしずつほぐしていく工夫を、彼女は常に考えているようです。

また、訪問のお仕事は人の生死にも多く立ち会うお仕事だということを、筆者は彼女を通じて知りました。
訪問予定だった先から突然キャンセルが入る、その理由が「先日亡くなったから」ということを彼女は何度も経験しています。
つい先週元気に挨拶した人が、翌週にはこの世にいない。筆者からすればそう出会うシチュエーションではありません。

しかし彼女は時々言うのです。

「私なんて、この仕事しかできないから・・・」

筆者は何度その言葉を制したことでしょうか。そう言われると悲しいのは利用者さんではないかと思うのです。
どんな人が相手になろうとその懐に入り込み、人を支えることを本当の喜びとしている、言葉だけで表すのは簡単ですが、その実情は簡単なものではありません。

それでも「人が好き」という気質でいろいろなこだわりを持っている彼女です。

そして以前に取った他の資格も生かしたいと、介護施設や高齢者をメインにしたアロマセラピーを事業にしようと頑張っています。普通のサロンを開くこともできますが、そうではなく、やはり介護とセットで進めたいという、彼女ならではの経験があってこそです。

「人が好き」。彼女を動かす全ての根源です。
そんな彼女の新しい挑戦を、筆者も楽しみにしているところです。


【執筆者】
清水 沙矢香
2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。
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