資料請求
介護情報・コラム

私たちは「誰かの居場所」になれているだろうか? ”ワケアリ客”が集まる本屋さんの想い出 

2023/03/22

【コラム】私たちは「誰かの居場所」になれているだろうか? ”ワケアリ客”が集まる本屋さんの想い出  【コラム】私たちは「誰かの居場所」になれているだろうか? ”ワケアリ客

 あの子に声をかけるべきか、かけざるべきか、それが問題だ。


 私はパート先である書店のコミック売り場で、小学校高学年くらいの少年に声をかけるべきか否か悩んでいた。 彼はかれこれ30分以上、ここで漫画の立ち読みをしている。
試し読み用にあえてビニールカバーで封をしていない本なので、立ち読み自体は一向に構わないのだが、気になるのは長時間の立ち読みではなく、今が平日の昼間だということだ。 普通の子供なら学校で勉強をしている時間だった。



 もう一つ、彼の着ている衣服のサイズが体に合っていないことも気になった。服はダボダボだし靴はブカブカで、よくそんな靴で歩いているなと驚くほど、いかにも歩きにくそうだ。 男の子にしては髪も長く伸びており、親にきちんと世話をされている子供には見えない。

 大きな目とおちょぼ口。色白の肌に、ふっくらとした頬の丸み。その男の子は、欅坂46として活躍していた頃の平手友梨奈ちゃんによく似ている。なので、ここでは彼を平手くんと呼ぶことにしよう。

 平手くんは、男の子にしては甘く柔らかな顔立ちのせいで幼く見えたけれど、背の高さや体格から考えると、ひょっとしたらもう中学生だったのかもしれない。


 たぶん近所に住んでいる子供なのだろうけれど、その可愛い顔には見覚えがあるような気もしたし、無いような気もした。 彼はこれまでにも、こうして平日の昼間から立ち読みに来ていたのだろうか。


 しばらく様子をうかがってみたものの、やはり気になって仕方がない。さいわい他にお客さんもいなかったので、私はレジから出て彼に近づいた。


「ねえ、君。こんな時間にここに居ていいの?学校はどうしたの?」

 急に声をかけられて驚いたのか、平手くんは華奢な肩をビクッと震わせ、振り向いて目を見開いた。

「えっ、あっ、えっと…。僕、今日はちょっと具合が悪くて、学校を休んでるんです」
「そうなの?具合が悪いのに出歩いて大丈夫なの?熱はない?」

 そう言って私が彼の額に手を当てると、平手くんはさらに驚いた様子を見せ、ボワっと顔を赤らめた。


「あのっ…、大丈夫です」
「分かった。ここに居たければ居てもいいけど、今は学校の時間だからね。君くらいの年齢の子供が一人でうろうろしていると、補導されるかも知れないよ」
「…じゃあ、帰ります」


 平手くんはそそくさと読んでいた漫画を棚に戻し、足早に階段を降りていった。


 そんなつもりではなかったのに、結果的に彼を店から追い出してしまった。 もし平手くんが適切な養育を受けておらず、家で居心地の悪い思いをしているのだとしたら、 せっかくのくつろぎの時間と居場所を私が奪ってしまったのではないだろうか。


 けれど、恐らく彼は虐待を受けている子供ではない。触れてみて分かったが、彼の肌や髪は垢じみておらず、清潔な香りがしていたのだ。サイズが体に合っていない服も、着古されてはいたが洗濯はされているようだった。

 「ひょっとして彼は不登校なのかな?だから、あえて同じ年頃の子供に会わない時間帯に外に出ているのかしら。 裕福ではなさそうだけど、もしかしたら親御さんはネグレクトしているわけではなくて、子供にかまう余裕がないだけなのかもしれない。 私が声をかけたせいで彼がこの店に来づらくなってしまうとしたら、悪いことをしてしまった」


 などとぐるぐる考えてしまったが、気を揉む必要はなかったようだ。彼はその後、むしろ頻繁に姿を見せるようになったのだから。


 平手くんは私からの注意を心に留めたようで、それからは平日の昼間ではなく、夕方の遅い時間帯にやって来るようになった。 そして、必ず私の視界に入る場所で立ち読みをした。私が1階の書籍と雑誌売り場のレジに入っていればレジ横で雑誌を立ち読みしているし 2階のコミック売り場に入っていれば、漫画を読みに2階へ上がってくる


「どうしていつも私の近くに居るんだろう。もしかして、また話しかけられたいのかな」


 と思ったが、彼は大人しく静かに過ごしていたし、特にこちらから話しかける理由もなかったため、黙って見守ることにした。 私の想像だが、恐らく彼は「誰かに自分の存在を認識してもらえたこと」が嬉しかったのではないだろうか。



 平手くんは子供だが、こうしたお客さんは大人にも多いのだ。毎日のように顔を出す常連客の中には、様々な理由で社会から孤立してしまった人たちが少なくなかった。



 彼らは人と触れ合う機会が極端に少ないらしく、何かのきっかけでこちらから話しかけると、それ以降は交流を求めるように足繁く通ってくるようになる。


 店に来るたび大量のラノベを購入してくれる、実家暮らしのニートの青年。赤ちゃんを抱いてクロスワードパズルの雑誌を買いに来る、未婚でシングルマザーになった女性。夕方になると毎日スポーツ紙を買いに来たり、決まった曜日に週刊誌を買いに来る、一人暮らしのおじいちゃんたち。

 中でも、「そんなに買って読みきれるのだろうか」と首をかしげてしまうほど、毎月何十冊もの雑誌や書籍を注文してくれる山口さんは、最も来店頻度が高かった。


 50代の山口さんは、これまでの人生で一度も働いたことがない男性だ。 親からいくばくかの財産を受け継いで一人暮らしをしており、生活のために働く必要はなかったらしい。かといって、適当に遊んで暮らしながら人生を楽しめるタイプでもなく、何者でもない自分を恥じていたのか、店ではいつも「小説を書いている」と話していた。つまり、大量に購入する書籍や雑誌は、全て小説を書くための資料だと言うのだ。


 けれど、私たちは知っていた。山口さんが何も書いていないし、これからも書けないであろうことを。 山口さんはこの書店に10年近く通い詰めている常連客だったが、ずっと「小説を書いている」「次の文藝賞には応募しようと思う」と言い続けていたのだから。


 私たちスタッフは「小説家を目指して頑張っている最中の人」として振る舞う山口さんに、話を合わせていた。中でも店長は「そこまでする必要があるのかな」と疑問に思うほど、いつも丁寧に対応した。


山口さんは、自分から店に出向いてくる時はほがらかで、私たちを相手に調子良くおしゃべりをし、気がすむと機嫌良く帰っていくのだが、店に電話がかかってくる時はやっかいだった。


 そういう時の彼は気持ちが落ち込んでおり、本の配達を頼んで店長に家まで来て欲しがったり、長電話の相手をしてもらいたがる。そして電話口で延々と「自分は何もしていないダメな人間だ…」と泣きごとをこぼすのだ。
 その度に店長は辛抱強く相槌をうち、「山口さんは何もしていないってことはないでしょう。ちゃんと小説を書いてらっしゃるじゃないですか」などと言葉を尽くして慰めていた。


 その様子を横目に見ながら、
「なんでそこまでするんですか? 山口さんが毎月たくさん本を買ってくれる上客だから、売り上げのために長電話に付き合うんですか?」
 と、我ながら不躾だが、店長に疑問をぶつけてみたことがある。すると、彼はこう答えた。


「いや、違う。もちろん山口さんは大量の本を買ってくれるし、いくつもの雑誌を定期購読してくれるありがたいお客さんだよ。確かに、あまりに電話が長いとちょっと困ることもある。でもね、べつに俺はイヤイヤ彼の相手をしている訳じゃない。
あの人は不器用にしか生きられない人なんだ。小説なんて書いてないことは分かっているし、俺たちが分かっていることを彼も分かっている。だから自分が嫌になって、落ち込むこともあるんだろう。
だけど、彼はその生き方で誰かに迷惑をかけている訳じゃないだろ。むしろ誰にも迷惑をかけないように、一人でひっそり生きているじゃないか。
なんかさ、そういう不器用だけど真面目に生きてる人が、俺は好きなんだよ。ああいう人の居場所であることが、長年この地域に根ざして商売してきた本屋の役割でもあるし、俺の仕事のやりがいでもあるんだ。だから迷惑には思っていないよ」


 なるほど。考えてみれば、店長は山口さんに限らず、お客さんであれスタッフであれ「不器用な人たち」に対して優しかった。そうした人たちの居場所となることで、この店は地域に求められ、ひいては働き手の居場所を作ることにも繋がるのだろう。



 小説家になる夢を諦めて、夏葉社という出版社を立ち上げた島田潤一郎さんという人が、 「子どものころから、なにか困ったとき、つらいときは、本屋さんへ行った。本屋さんの店内に入ると、気持ちが落ち着いた。たくさんのお客さんにまじって本や雑誌に触れていることで、かろうじて社会と繋がっているような気もした」(出典『あしたから出版社』) と、著書の中で語っていた。


  私が働いていたような昔ながらの商店街の本屋さんは、近隣に住む人々にとってそうした場所なのだ。 私たちは、平手くんや山口さんの人生に踏み込むことはできなかった。けれど、どこにも行く当てがない彼らが寂しさをつのらせた時、ふっと足を向けることができる居場所として存在することで、寄り添うことはできていたのではないだろうか。


 残念ながら、かねてからの出版不況とオンライン書店の台頭、そして電子書籍の登場により、中小規模のリアル書店は町の風景から姿を消していくことになった。 私が勤めていた書店も例外ではない。


 それでも居場所はそこに残った。本屋という商売は立ち行かなくなってしまったが、店長は「やはり、この地域に住む人たちの居場所でありたい」との思いから、閉店した書店の跡地で大人も子供も遊べるゲームの専門店を始めたのだ。店の一角では、数こそ少ないが、以前と同じように本や新聞も販売している。



 居場所とは人が作る。書店という箱が失われても、そこに居場所を求める人と、その思いに応えようとする人がいる限り、居場所は在り続けるのだ。



【執筆者】
マダムユキ
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。

check_circleこちらもおすすめ
介護業界を悩ませる「モンスターファミリー」とは?問題を大きくしない解決ポイント
介護業界を悩ませる「モンスターファミリー」とは?問題を大きくしない解決ポイント

介護業界を悩ませる「モンスターファミリー」についてカスタマーサポートの観点から問題を大きくしない対応のポイントを紹介。

幸せな最期を支えるために何ができる?介護職が利用者と家族に寄り添うために
幸せな最期を支えるために何ができる?介護職が利用者と家族に寄り添うために

看護職に転職した筆者が介護・看護職が利用者本人や家族の意向を尊重することの重要性、 そのために多職種連携でサービス提供するための重要なポイントについて紹介します。


「歳を取るのは、幸せなこと」和裁教室で出会った、生きがいあふれるお婆さんたちとの想い出
「歳を取るのは、幸せなこと」和裁教室で出会った、生きがいあふれるお婆さんたちとの想い出

筆者が通っていた和裁教室は高齢のご婦人方が集うサロンのような場でした。和裁教室で出会った人々と先生の元に集っていたご高 齢のご婦人方のお喋りから、高齢者の居場所、コミュニケーション、生き甲斐について考えます。

arrow_upward